土田病院の南側の病室からワンブロック先は芸大の音楽学部の敷地で、時に分厚いチューバの響きが聞こえてきます。土田病院は今年111周年を迎え、創立は1909年なのに対して、芸大の前身である東京美術学校が上野にできたのはその20年前の1889年、東京音楽学校は1890年ですから、それぞれが年代的にも位置的にも相接して上野の森に居を構えたことになり、ご縁の深さを感じます。
因みに東京藝術大学として統合されたのは1949年で、約70年前です。音楽に特化したパリ音楽院、モスクワ音楽院などは世界的に有名ですが、国立の芸術総合大学は世界的にも珍しく、“芸大“の価値と実力が多方面で発揮されているのはよく知られているとおりです。
美術と音楽の学部は国立博物館の前を通る道で隔てられ、美術学部は動物園側、音楽学部は寛永寺側に位置して、それぞれ立派な門を構えて相対しているのには独特の風格があり、私の好きな一角です(写真は音楽学部の正門)。

美術学部の中には各種特別展のほか、所蔵する卒業生の名画なども一般公開する芸大美術館があります。卒業生ではありませんが、所蔵作品で修復完成記念に展示された、上村松園の「序の舞」を見た感動はいまだに新鮮です。
一期生であった横山大観を筆頭に、青木 繁、高村光太郎、藤田嗣治、東山魁夷、学長も務めた平山郁夫等々、数えきれないほどの巨匠たちが若き日に悩み苦しみながらも、そこで黙々と制作に励んだことを思うと、彼らが身近な存在に感じられてきます。
音楽系の卒業生で有名になった方は後発の洋楽関係が多いため、美術系に比べて年代的に新しく、やや少ない印象があります。それでも滝 廉太郎や山田耕作、宮城道雄、團 伊玖磨など馴染み深い巨匠の名前がすぐ思い浮かびます。NHKの朝ドラの“エール”にも出ている世界的プリマドンナ三浦 環も卒業生で、在学中から活躍していた由です。変わったところではソニーの社長・会長を務め、ウォークマンの開発・販売で成功し、帝王カラヤンとも親交のあった大賀典雄(軽井沢の大賀ホールに名を遺す)、幅広いジャンルで活躍中の坂本龍一など多士済々で、さすがは芸術の最高学府です。
音楽学校には学生の演奏のためのコンサートホールが欠かせませんが、音楽学部内にある新奏楽堂は大学美術館と同時に1998年に完成しました。大学のコンサートホールとしては規模も大きく、実に立派です。学生を中心にしたコンサートが一般公開で、木曜の午前に定期的に行われており、足を運ぶ価値があります。
一方、東京音楽学校時代に建てられ、日本における西洋音楽の発展に大きく貢献した旧奏楽堂は1983年台東区に譲渡され、上野公園内の現在の敷地(都美術館の裏手)に移りました。1988年に国の重要文化財に指定され、2年前には338席でリニューアルオープンし、幅広く演奏会に使われています。レトロな外観と雰囲気は残したまま、音響などは良くなり、上野公園の隠れた名所です(写真)。

ところで音楽や絵画などの芸術活動は精神科の治療(診断)に欠かせないものとなっています。絵画療法、音楽療法、ひいては芸術療法とも呼ばれ、専門の学会もあります。土田病院でもそうした療法がささやかながら行われていますが、将来的には“芸大のご近所”の名に恥じないハイレベルなものとなって、芸大の学生さんとの交流もできればと夢みています。

医師・特別顧問
広瀬 徹也